最近、「AI Native」という言葉を目にするようになりました。

また新しい言葉が出てきたな、というのが最初の感想です。

この業界に長くいると、こういう言葉には何度も出会います。

IT革命、インターネット革命、ERP、PLM、デジタルトランスフォーメーション、そしてAI革命。

もちろん、それぞれ意味は違います。

ただ、新しい言葉が出てくるたびに、

「これからは○○だ」

「乗り遅れてはいけない」

「仕事のやり方が大きく変わる」

と言われてきた気がします。

そして今回が「AI Native」です。

さて、今度は何でしょう。

AI Nativeの意味を調べ始めたのですが、考えているうちに、「何のためにAIを使うのか」という別の問いに行き着きました。

AI Nativeとは何だろう

調べてみると、「AI Native」という言葉には、まだ幅のある使われ方があるようです。

製品やサービスを指すこともあれば、仕事の進め方や企業のあり方を指すこともあります。

ただ、共通しているのは、既存の仕組みに後からAIを付け加えるのではなく、AIがあることを前提に、最初から仕組みそのものを考えるという点です。

ざっくり言えば、私はそのように理解しました。

確かに、それなら今までの「便利なAIツールを使いましょう」より一歩進んでいます。

私自身、最近は生成AIをかなり使うようになりました。

文章を作るだけではありません。

調査をする。アイデアを出す。議論する。データを分析する。プログラムを作る。

以前なら自分ではやらなかったこと、あるいは誰かに頼まなければできなかったことまで、自分でできるようになってきました。(関連記事)

これは素直にすごいと思います。

でも、ここで少し引っかかりました。

私たちは便利になった。でも、暇にはならなかった

考えてみれば、これまでも同じようなことがありました。

パソコンが普及した。

インターネットが普及した。

メールが使えるようになった。

ERPやPLMのようなシステムが導入された。

クラウドが普及した。

昔なら手間がかかっていたことが、ずいぶん簡単になりました。

間違いなく便利になっています。

では、その分、私たちは暇になったのでしょうか。

少なくとも、私はそんな実感がありません。

一つの仕事にかかる時間が短くなれば、その分、別の仕事ができます。

一日に対応できる案件が増える。

処理できる情報も増える。

「生産性が上がった」と言えば、確かにその通りです。

でも、働く側から見ると、便利になった分だけ、求められる仕事も増えてきたように感じます。

そして生成AIは、この流れをさらに進めそうです。

なにしろ、仕事が速くなるだけではありません。

できることそのものが増えてしまうからです。

これは困った(笑)。

技術の進歩は「登りのエスカレーター」なのかもしれない

ここまで考えて、一つのイメージが浮かびました。

技術の進歩は、登りのエスカレーターのようなものではないか。

新しい技術が登場すると、業界全体がそこへ力を入れます。

製品やサービスに組み込まれ、会社にも導入され、やがて普通に使えるものになっていきます。

利用する側が必死に勉強しなくても、道具の方がどんどん便利になっていく。

かなり単純化すれば、アウトプットは、

ツールの力 × 人の使い方 × 仕事の仕組み

で変わると考えられそうです。

ツールの力は、技術の進歩によって上がっていく。

つまり、多くの人は知らないうちに登りのエスカレーターに乗っていることになります。

立っているだけでも、以前より多くのことができる。

自分でも使い方を工夫して歩けば、もっとできる。

さらにAIがあることを前提に仕事の仕組みまで変えれば、もっと大きく変わる。

AI Nativeというのは、もしかすると「AIという新しい道具を使う」というより、AIがあることを前提に、仕事そのものを組み立て直すことなのかもしれません。(関連記事)

ただし、ここで忘れてはいけないことがあります。

周りも同じエスカレーターに乗っています。

みんなのアウトプットが増えれば、それが新しい当たり前になります。

立っているだけでも以前より上へ行ける。でも、周囲との位置関係はそれほど変わらない。

そして、できることが増えれば、求められる水準まで一緒に上がっていく。

便利になったのに暇にならなかった理由の一つは、ここにあるのかもしれません。

ここまで考えたときは、自分でもなかなかうまい整理だと思いました。

ところが、また引っかかりました。

それで、人は幸せになるのだろうか

エスカレーターをどんどん上る。

できることが増える。

アウトプットも増える。

会社の生産性も上がる。

生成AIを使えば、これまで一人ではできなかった仕事までできるようになる。

すごいことです。

私自身、それが面白くて生成AIを使っています。

おそらく、これからも使うでしょう。

でも、

それで、人は幸せになるのだろうか。

急に話が大きくなってしまいました(笑)。

別にこの記事で「幸せとは何か」を語りたいわけではありません。

ただ、アウトプットを増やすこと自体が目的ではないはずです。

AI Nativeになることも目的ではない。(関連記事)

DXすることも、ERPを導入することも、生成AIを使うことも、本来は何かを実現するための手段です。

ところが、新しい言葉が出てくると、不思議なことに、その言葉についていくこと自体が目的になってしまうことがあります。

「AI Nativeにならなければ」

「AIに乗り遅れてはいけない」

そんな言葉を聞くと、何となく焦ります。

でも、本当に考えるべきなのは、そこではないのかもしれません。

結局、「何のため?」に戻ってきた

AI Nativeとは何だろう。

そんな軽い疑問から考え始めました。

技術の進歩は登りのエスカレーターのようなものではないか。

ツールの力が上がり、自分も使い方を工夫し、仕事の仕組みまで変えれば、アウトプットはもっと増える。

では、歩こうか。

いや、走ってみようか。

そんなことを考えていたら、ふと違和感が出てきました。

何のために走るのだろう。

AIによって、できることが増えるのは面白い。

だから私はこれからも試します。

でも、「できることが増える」と「全部やる」は同じではない。

そして、「アウトプットが増える」と「幸せになる」も、たぶん同じではありません。

AI Nativeという言葉の意味を考えていたはずなのに、最後に残ったのは別の問いでした。

私は、何のためにAIを使うのだろう。

しばらく、この問いを持ったまま使ってみようと思います。